放浪コラム

アフリカと野蛮

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これも、1998年のエッセイ。





あってはならないことがまた起きてしまった。タンザニアに派遣中の国際協力事業団の職員「花岡理英子さん」が自宅前で強盗に射殺された。母子保健プロジェクトのメンバーとして7月から現地に滞在されていたそうだ。

先日のケニア、タンザニア連続爆弾テロといい、ルワンダ、ウガンダ、コンゴ近辺の内戦状態といい、どうもアフリカはきな臭いことが続いている。日曜夜の番組もアメリカ大陸縦断に比べて、アフリカ大陸縦断が苦戦しているようだ。でも、それで「アフリカは野蛮」という落ち着き方はしてほしくない。

実際、僕は数年前にこれらの国に滞在した。入国前はやはり緊張感があったが、慣れてしまえば、米国とそう変わらない。昼間なら一人で歩いても特別危険は感じない。ただ、夜はさすがに集団行動だ。それも小さくまとまっていては、グループの強盗に取り囲まれるとかで、わざと広がって歩いたりした。山に登るべく、一人で田舎の道を歩いていた時は心細さに、車が横を通るたびにビビッていたが、特に災難に会うことも無かった。確かに僕は運が良かっただけなのかもしれない。

友人達の中には「冒険かどうか知らんけど、よくそんな野蛮なとこ行くね」と言うやつがいる。誓っていうが、アフリカが野蛮なところであるという事実は全く無い。僕がナイロビの裏通りを歩く時の緊張感は新宿やロスの裏通りを歩く時の緊張感と同一である。自転車で京都市内を走っていて後ろから約50台の暴走族の車両が時速20kmで通り過ぎていった時の緊張感の方がはるかに恐ろしい。

日本に比べて人口の割にきな臭い事件が多いのは確かだ。ただ、これはアメリカ経由の情報の話。ある人は、アフリカ諸国の教育レベルに問題があるという。が、この問題の根底には先進諸国の植民地支配がある。僕から見れば、スーダンに予告なしで巡航ミサイルを何発も打ち込むアメリカの行為の方が野蛮だ。真珠湾攻撃を怨んでいる国の行為とは思えない。その行為を声を大きく否定できない日本の政府も同罪だろう。十字軍の時代と変わらん。

バクシーシの話

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これも1998年のエッセイ。






イスラム世界では恵まれない人に恵まれている人が施しをするのはあたりまえというか義務なんですが、にやにやにやけながら「俺は恵まれてないんだゼ」と言われてもどうも施しする気になれないものだ。

エジプトの砂漠の中を僕は自転車で遺跡巡りをしていた。王家の墓ではツタンカーメンのお墓など見物してミイラを堪能してお弁当を食べてさて帰ろうかと思ったら、なんと自転車の空気が抜けている。どうもおかしい。誰かが「プスッ」とやったに違いないような抜け方だ。

と、そこへ髭面のにいちゃんが乗った車がやってきて、「へい!ジャパニーズ!お困りかい!」とのこと。「100ドルで乗せていってやるぜ!」とご丁寧に自転車を積めるようなキャリアがアタッチされている。「こいつらやな。」と疑念を抱きながらも数十秒の交渉で「100ドルが10エジプトポンド」まで下がったので(約1/20)、まぁええかな、と乗っけてもらうことにした。

そのまま帰るかとも思ったが、せっかくなので「ハトシェプスト葬祭殿」というこの間銃撃騒ぎがあったところも見ていくことにした。自転車の空気がないのは気になるが、村も近いのでゆっくり見物。で、近所の村まで自転車を押していき、空気ポンプを借りることに。

ところが、村の入り口には空気ポンプを持った住民が山のように待ち構えている。「こっ、これは・・・」と威圧されたが借りないわけにもいかないので、勇気を持って声をかける。「すんません、くう・・」言うか言わないかで「バクシーシ!ポンプー!」の声が全員から叫ばれる。耳が割れそうだ。収拾つかんところをひ弱そうな子どもに声をかけて、数ポンドと飴でポンプを借りる。

ここからがたいへん。持っていた飴と小銭に向かって「バクシーシ!」の子どもの群れがやってくる、やってくる。あわれ、勢いに負けて日本から持参したミルキーはあっという間に村民の手に渡ってしまった。さらににやにやしながら「バクシーシ」の声は終わらない。

観光地であることもあるが、外国人、特に日本人と見ればバクシーシ。「俺はムスリムでもないので知らん」ではすまないぐらいの勢いがあった。彼らから見てみれば、日本の貧乏学生でも大金持。だが、「このやろう!」と思いながらも明るく笑いながら「バクシーシ」といわれると小銭を握ってしまうことも。

さて、有史以来ともいわれる不況に突入しそうな日本人は、貧乏になっても明るく「バクシーシ」と言えるのでしょうか。「恥をかくくらいなら腹を切る」では生きていけないかもよ。

イランへの道

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これも、1998年のエッセイ。






印パ核開発競争が始まってしまったんでしょうか?核の不拡散体制も大国の思うようにはいかない時代の始まりですね。印パ紛争時はあれだけ援助したアメリカも、今度は本気の制裁を加えるようです。

かつて、「地球の歩き方」などがまだ存在しない時代、世界を旅するバックパッカーは英語の「サバイバルキット」などのガイドを頼りに第三世界をうろうろしていました。が、中東内を移動するに際しての情報、特に日本人に有効な情報は少なく、自然に口コミが唯一の情報源になったのです。

当時日本人は特有な立場でした。他の西側諸国と違ってイランとも友好な関係が続いていたのです。が、イラン革命後のイランはそんな日本人にもかなり未知というか危ない世界。周辺国との関係でそこを移動する日本人も慎重な行動が要求されます。

イランへの道の西の出発点はイスタンブール。オリエント急行を利用してイランへアプローチするのもいいですが、バスがスピードでは一番。けっこう味気なくテヘランに着いてしまいます。

が、東の出発点は問題。上海と言う人とバンコクという人に別れます。ここに印パ問題が凝縮しています。上海からならウルムチやカシュガルといった西域な地名をたどりながら、パキスタンとの国境の峠を越えてパキスタン入り、パキスタン国内を楽しみながらイランへ。けっこうパキスタン北部の村は天国っぽい所らしいです。バンコクからだと、結局印パ国境を越えられず、空路でテヘラン入りしてしまうことになります。

最近、ソ連崩壊により独立した国々を通って、北京~イスタンブールの鉄道が全通したたらしいですね。

一方で、かつての日本人が憧れた、カルカッタ~イスタンブールの陸上ルート、「イランへの道」は紛争が絶えず、ますます困難になって行くようです。

オフロードバイクは走るよ

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これも1998年。熱いこと書いてるな。この時のバイクは2000年に売られていきました。





久しぶりにオフロードバイクが手元にやってきた。「YAMAHA DT125R」。学生時代に乗っていた「KAWASAKI KMX125」を義理の兄貴に売り払って以来である。正確には会社所有の社用車になるのだが、まぁ自由に乗ってよい。普段は自転車はおろか歩くことさえほとんどしない、田舎の車社会にどっぷり漬かっているので、バイクの乗り方も忘れていた。乗る前に頭で思いだそうと考えたが、重いだせん。ままよ、と飛び乗ってみると体は覚えているんですよね。アクセルの具合も、クラッチの切り方も体重ののせ方も7年ブランクあっても関係ない。

ところで、僕の住んでる四国は林道天国だ。全国のオフローダーが夏休みともなると大挙して押しかける。北海道を目指すライダーとはまた違った雰囲気である。有名なところでは「剣山スーパー林道」という全長80km以上のロングダートがある。小さいタンクのバイクではガス欠と隣り合わせのロングランだ。フラットな地面なので高速のギアが使えないわけではないが、そこはダートなので気は抜けない。事故も毎年多発している。

ところで、四国の林道は大半が「林業の為の林道」であるのは事実なのだが、そういう産業用林道はほとんど進入禁止になっている。で、オープンしているダート林道はスーパー林道をはじめとして、「観光用林道」が多い。

「工事のための林道」も多い。これは「工事用アクセスルート」としての林道というわけではなく、「地元の土建屋さんにお金を落としてあげるために税金を投入するために、必要かどうかよく分からんけど、まぁ、線引きやすいし、いっとこかぁ」という林道だ。これは台風が来るたびに通行止めにして改修工事もできるようなやわな設計なので、あとあと「税金を使って工事をする」のが簡単になるのだ。これで山村の土建屋さんは食いっぱぐれがなくなる。どんな山の中でも土建屋さんだけはちゃんとある。

そんな林道に心を浮付かせて通っているのだから、僕も弱い人間だ。片棒担いでいる。野外で遊ぼうと思うと釣りにせよ、バイクにせよ、山スキーにせよどんなに、「ローインパクト」と心がけても「公共事業」などで間接的に自然を痛めつけているのだろう。これは永遠のジレンマだ。ただ、「お前のエゴちゃうの?!」と言われても今はオフロードバイクで自然の中に無理に作られた林道に出かけて行ってしまう。だって、まだ数日目やもん。しゃーないやん。

非婚時代

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これも1998年のエッセイ。いろんなこと書いてるな、俺。




先日、徳島の友人の所に行ったら既にワインが入っていていい気分でご夫婦で酔ってらっしゃる。つられて僕も飲んでしまった。まったく僕にとっては理想のご夫婦という感じなのだが、本人たちは「そうでもない」という。相手に不満は無いのだが、制度自体に不備を感じるというのだ。

この二人が先日、共通の友人が開催する「非婚を祝う会」に出席してきたというので興味深く話を聞いた。女性の方が自営で書店を経営されていて、男性も個性的な実業家。お二人が経済的にも自立しているからできる形態かもしれません。で、その祝う会はというと、みんな仮装で出席していて心からお祝いしているのが写真からも分かる。非婚と言ってもどうもこのお二人は「事実婚」のよう。入籍しないのだからどちらかの姓が変る事も無い。子供も産むだろうということだが、それが理由で入籍という事もないそうだ。

そこまで話が進んで友人夫婦(アツアツの)女性の方がポロっと一言。

「結婚はやっぱり破局のはじまりよー。」

パートナーの前でよく言うなぁという感じだが、結婚は相手との一対一の関係ではなく、結局家も絡んだ契約の話というのだ。男女の問題以上に束縛が多くなる。そのことがパートナーとの関係も悪化させる・・・。

ちなみに僕は結婚において「男女別性」は選択の一つとして早く採用すべきだと思っている。事実婚も法律的に不利な点を減らしてあげるべきだろう。そういう柔軟な結婚形態が増えていけば本来の「非婚」も減っていくのではないか。

「男女別性など日本の伝統に反している!!」

という固いやつがいるが、江戸時代以前はそれが当然だったのだ。僕は平安時代の通い婚が一番えんちゃうかなぁとうっとりしている。

方言で行こう

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これも1998年。


いわゆる新年度がスタートしました。新入生、新社会人の方は今までと違った生活が始まったと思いますがどうですか?毎日のリズムの変化とともに、身の回りの人の変化も大きいのではないでしょうか。特に各地方から人が集まるような場では、受験の話題、就職活動の話題とともに方言がけっこう「つかみ」として話にのぼりますよね。

僕は「香川→京都→千葉→東京→名古屋→香川」という変遷をたどりましたので、自分の言葉がよく分かっています。京都時代は恥ずかしくも関西弁が会話の中に混じりまして、地元の関西人からは恐らく軽蔑の眼で見られていたのでしょう。東京ではその流れで、讃岐弁ベースの関西語混じりで過ごしました。関西以外の方には「森田君、関西出身?」と言われたりしました。名古屋時代は既に何語をしゃべっているのか自分でも分からなくなりましたが、さすがに名古屋弁には染まれませんでした。「標準語を名古屋弁に訳しなさい」という設問にはけっこう回答できるんですけどね。

で、地元に帰ってくると一発で讃岐弁が復活です。ブランクは関係ないですね。そもそもブランクがあったこと自体変な事かもしれません。どうも、「いかん、今の方言や。通じてないかも?」と卑屈に考えて、標準語なり関西弁なりの多数派言語に変換していたみたいです。その延長でイントネーションまで妙に変わってたりして。思うに、「方言のまま通す!」という地方分権時代には尊敬に値する行動は、分かっていても難しいようです。

が、僕が学生時代に同じクラスだった女の子は素晴らしかったです。彼女は宮崎県出身のかわいい、書道が無茶苦茶上手い才女で、授業も一度も休まない真面目な女姓でした。一方僕は「授業を休む権利も学生にはあるのだ!」という馬鹿な不真面目学生なのでテスト前には常に友人を頼る男でした。英語のノートは決まって、その宮崎出身の女の子に借りていたのです。普段、彼女はかわいい、けど難解な宮崎の言葉「日向弁」を操って僕らを当惑させるのですが、借りたノートのコピーをテスト前日深夜に見てビックリ!何と英語の和訳がどうも日向弁混じりなのです。

おかげで、お馬鹿な男友達数人と朝まで「日向弁→標準語」の訳をすることになりました。

恋の結晶作用

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1998年頃のエッセイです。恥ずかしいですね。まぁいいや。


僕は女の子を口説いたりする時(もうしませんよ)、よく恋愛論を多用した覚えがあります。学生時代の専攻が「人間発達論」というあんまりメジャーじゃない学問だったのですが、これは生まれてから死ぬまでの人間の葛藤をテーマにしているので、けっこう「経済学」や「産業論」に比べて、実戦向きの役に立つ研究だったりするんです。まぁ、ほとんど飲み会や営業の席の話ですが。

その研究の中で学生が盛り上がったのがやはり「恋愛が人間に与える影響」などを研究する「恋愛論」。うっとり系の女子学生が一番力が入っていたようでしたが、ただ資料を眺めていただけの僕もキーワードは覚えてゼミを終えました。

さて、その中でけっこう重要なキーワードは「恋の結晶作用」。簡単に言うと、会わない間に相手のことをどんどん理想に近づけていく。さらに好きになった異性の趣味や普段の行動までが自分と重なってきて、それに合わせてしまうような作用のことです。例えば、彼がロックが好きなら、それまで反町とか聞いていた女の子がいきなりエアロスミスを聞きはじめたり。彼女がパイナップルが嫌いだといえば、自分もなんか食べなくなったり。どうですか?みなさんにも大なり小なり覚えがあるでしょう。

そんな淡い恋愛の最初を形作る小道具に、音楽と本があるんではないかと最近思い始めました。この媒体の貸し借りがけっこう結晶作用を作っちゃうんです。歌詞がせつない曲を借りてしまうと、相手の人生がその歌の中に込められているような勘違い(違いじゃない場合も多いですが)が起きてしまうんですね。少女漫画なんか顕著ですよ。恋愛ものを借りてしまうとヒロインが相手にみえてしまったりと重ねてしまうんですね。なんなら、身近な気になる女性に漫画を借りてみて下さい。けっこう自分を燃え立たせる近道かもしれませんよ。

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