放浪コラム

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イランへの道

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これも、1998年のエッセイ。






印パ核開発競争が始まってしまったんでしょうか?核の不拡散体制も大国の思うようにはいかない時代の始まりですね。印パ紛争時はあれだけ援助したアメリカも、今度は本気の制裁を加えるようです。

かつて、「地球の歩き方」などがまだ存在しない時代、世界を旅するバックパッカーは英語の「サバイバルキット」などのガイドを頼りに第三世界をうろうろしていました。が、中東内を移動するに際しての情報、特に日本人に有効な情報は少なく、自然に口コミが唯一の情報源になったのです。

当時日本人は特有な立場でした。他の西側諸国と違ってイランとも友好な関係が続いていたのです。が、イラン革命後のイランはそんな日本人にもかなり未知というか危ない世界。周辺国との関係でそこを移動する日本人も慎重な行動が要求されます。

イランへの道の西の出発点はイスタンブール。オリエント急行を利用してイランへアプローチするのもいいですが、バスがスピードでは一番。けっこう味気なくテヘランに着いてしまいます。

が、東の出発点は問題。上海と言う人とバンコクという人に別れます。ここに印パ問題が凝縮しています。上海からならウルムチやカシュガルといった西域な地名をたどりながら、パキスタンとの国境の峠を越えてパキスタン入り、パキスタン国内を楽しみながらイランへ。けっこうパキスタン北部の村は天国っぽい所らしいです。バンコクからだと、結局印パ国境を越えられず、空路でテヘラン入りしてしまうことになります。

最近、ソ連崩壊により独立した国々を通って、北京~イスタンブールの鉄道が全通したたらしいですね。

一方で、かつての日本人が憧れた、カルカッタ~イスタンブールの陸上ルート、「イランへの道」は紛争が絶えず、ますます困難になって行くようです。

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