12/072011

鳥を飼うご隠居のおじいちゃんのこと

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今年亡くなったおばあちゃんの相方、つまり僕のおじいちゃんは、僕が大学生の時に亡くなった。大正2年生まれで、僕が物心ついたときにはまだ60歳前だったと思うけど、いわゆる「ご隠居」状態だったようだ。と言っても、婿養子の父は気を使っていたようで、そんなに全権父に任されていたわけではないようだけど、おじいちゃんには、「ご隠居」の風格がにじみ出ていたように思う。それだけ、僕の両親が若いながらしっかりしていたんだろう・・・。今の自分を見て恥ずかしい思いだ。

おじいちゃんは野良仕事などもしていたんだけど、子どもの僕から見てもなんだか毎日楽しく遊んでるようだった。僕は忙しい両親よりも、常におじいちゃんとおばあちゃんの部屋やら畑やらで過ごしていたので、けっこうおじいちゃんの行動を観察していた。

朝起きると、まず体操。顔を洗って寒風摩擦。かなり長い間仏壇で読経。神棚に拍手。庭で飼っている30匹ぐらいの鯉に餌やり。30羽ぐらい飼っている小鳥に餌やり。朝食後は野良仕事。昼ぐらいまでは畑にいるが、のんびり昼食。そこから昼寝。1時間ぐらい。タバコ吹かせながらテレビ。自転車に乗ってパチンコ。2時間ぐらい。家に帰って、相撲中継。夕食。続いて、野球中継か時代劇。21時に風呂。22時過ぎに就寝。高校野球の頃は、全てストップして観戦。

釣りも3日に一回ぐらいは出かけていたようだった。鯉やらを釣ってきては、出刃包丁でさばいて、洗いにしたり、特製の味噌汁にしたりしていた。そのほかにも、家族の料理とは別に、山菜やキノコを採ってきては、こっそり小鉢の怪しい料理を作っていた。僕以外の家族は警戒して食べることはなかったし、おじいちゃんも薦めなかったんだけど、僕には、

「けいじ、ひとくちたべてみぃ」

と、怪しい何かを薦めてくれたので、僕だけってところが嬉しくて、興味半分、毎回食べていた。冷蔵庫には、僕とおじいちゃんだけが手をつける棚があって、瓶に入った得体の知れない固形物や液体が貯蔵されていた。特製の塩辛なんかは今でも食べたいなぁと思い出す。

多趣味なおじいちゃんだったわけだが、なかでも一番力を入れていたのは「小鳥」だったようだ。近所の爺さん連中の間ではかなり流行っていて、昼過ぎになると、どこからか爺さんがワラワラと集まってきては、「小鳥談義」を飽きもせずやっていた。

道具にもかなり凝っていたが、最盛期には30羽はいたんじゃなかろうか。団地みたいになっていた。僕は兄から入手したバードコールで、小鳥達を大混乱に陥れたりして相変わらず怒られていたが、納屋から聞こえてくる鳥の声はなかなか風流だった。鶯は毎年見事な歌声で鳴くので「春は納屋から」という感じだったなぁ。

僕も鳥を飼おうと、地面に穴を掘って米粒をまいておき、スズメがやってきて穴の縁のつっかえ棒をつつくと上から瓦片が落ちてパタンと閉まる、という装置は毎週のように仕掛けて捕まえていたが、僕が針金で作ったいいかげんなゲージは近所の猫のターゲットになってしまって、ある朝見たら、血の雨になっていた。恐ろしかった。

おじいちゃんは、小鳥をどうやって入手していたかと言うと、買ったり、他の爺さんと交換したりもしていたんだろうが、いわゆる「カスミ網」を使っていた。これはまったくの違法、密漁なんだけど、当時はそんな認識なかったんだろう。庭の真ん中に、メジロなどのメス鳥(たぶん)を鳥かごに入れておいておく。その周りにとても繊細な網を仕掛けておいて、メス鳥に反応してやってきたオス鳥を網に絡ませて捕獲。

あわれオス鳥はおじいちゃんの笑顔と共に別の鳥かごに入れられるのであった。

そんな毎日を楽しんでいたご隠居のおじいちゃんの生き方を僕も20年後には満喫したいなぁ・・・。


仕事しよ(笑)

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