12/122011

ベンチャー企業経営者はマージナルマン

前回の投稿、

ここを暮らしの拠点と決めたものが、自分のまちを振り返る重要性

を書いたけど、逆に現代では「ノマドワーカー」という言葉に代表されるようにオフィスも持たず、場合によっては定住さえせず、シェアハウスや友人宅を渡り歩いての働き方、生き方も可能になってきた。「個人」というものをしっかり持っていて、無駄を排除してネットをうまく活用していけば豊なライフスタイルが実現できる。

独身ならなんの問題もないだろうけど、家族の理解が得られてればそれはそれでいい。実際、僕の友人にはそういうノマド的なライフスタイルを選んでるやつが何人かいて、今回の原発事故をきっかけに西日本に移住したり、避難ついでに家族全員でスキルアップのためフィリピンに語学留学してその後海外移住を検討している家族もあったり。

それをけっこう羨ましく思ってる僕がいるのも事実。

そういうロマというかジプシーのように、漂泊の中で生きる生活。

日本には律令制度が確立してきたあとも、それに従わず、わりと自由に生きていた人たちがいた。実際は、飢饉や戦に負けた結果として放浪し、定住をしなかった人も多いのだろうけど。海の民や、山を拠点としていたサンカ、遊芸の民。歴史の教科書ではサラッとしか触れない多くの方々がイキイキと生活していたわけだ。

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辺界の輝き―日本文化の深層をゆく

沖浦和光さんと五木寛之さんは対談の中でそんなある意味「辺境」で生きてきた人々を、「辺界の民=マージナルマン」と位置づけ、どんなに輝いていたかを語っている。それはまさに「日本文化の深層」。

現代社会は、律令制度ではないけど、「トヨタ藩」「パナソニック藩」という感じで大企業を「藩」のように考える封建制度ともいえるので、サラリーマンじゃない野郎はマージナルマンかもしれない。零細企業なんかはどう考えたって「藩」じゃないからマージナルマン。そこの社長は「辺界の集団の頭領」ですな(笑)

僕自身、律令制度の本流である農民からははずれた職人の息子なので、まぁ、マージナルマンの素質はあるんだろう。

現代のマージナルマンは、ノマドワーカーだけじゃなくって、アーティストや職人、フリーター、ベンチャー企業経営者こそそうなんだと、ちょっと感じている。そして次代の日本の文化もそういうマージナルマンが担っているんだと信じている。

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