08/282007

リアルが減るとネットも減る

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昨夜はお客さんたちが来社され、そのまま近所で会食。我がテリトリーであるのにご馳走になってしまいました!ありがとうございました!

まだ残っている開発陣のところに戻って施錠して木場のアジトへ。改造内閣の話題ばかりのニュースをチャンネル変え変え日付が変わるぐらいまで見る。だいたい東京にいる時は、この、1時就寝、5時半起床というのがパターンになってきたような。6時半にアジトを出て、7時に蕎麦。8時前までドトールで雑誌や新聞、小説。8時に会社・・・。パターン化してくると嫌なんだよなぁ・・・。

ネガティブなことをあまりここで書くことは少ないのだけど、僕にもそれなりに悩みはある。人が聞けば「えー!!」と大声が出そうなことかもしれないし、ある人には「そんな小さいことかよ」と言われるかもしれない。人によって尺度は違うもの。

ひとつ書くと、経営を中心の人生になって長いわけだが、誰のために働いてるのかサラリーマン時代に比べて、わけがわからなくなることが多い。究極はもちろん自分のためなんだけど、自分のためならこんな苦労はやらない。家族のためかというと、食わせるためにはそうなんだけど、それもこんな苦労しなくても方法はもっといろいろあるはず。かっこいい言い方なら、自分の限界を試してるのかな?いや、もう試す期間は終わってるよなぁ。

mixiとか、他のSNS見てて、「よくこんなネガティブなこと書けるなぁ」と感心することがある。僕はネットの中での距離のとり方はそれなりにベテラン、我こそ常道と思っていたのだけど、時代の変化をまたきちんと読まないといけないんだろうな。そのためには、立ち止まって、じっくり考える時間が必要なのだろう。

21世紀になって、価値観を自分なりに変えたと思っていた。マスからニッチへ。大量から少量へ。お金から時間へ。変わりきれていなかったんだなとつくづく感じることが多々ある。

周りの人に対して不満を感じるなんていうことはなかったはず。仲間となったからには全力で応援するし、自分は後回しで頑張れたはず。それが、いろんな距離がだんだんできてしまう。言葉が足りないと言うのはわかってるんだけど、正直限界を感じる。

こういう時はどうするか。答えはわかっている。とにかくシンプルにすること。一時的に損も出れば、悔やむことも多いかもしれないけど、シンプルにすること。そして家族、仲間を大事にすることだけに集中すること。その過程で言葉をつむぐことに労をいとわないこと。徹底的に話をしてわからない場合は、以後の歩む道が多少変わるだけのこと。友人であることにはかわりがない。

話が続いているようでてんでバラバラな思考のままにかいているけど。

ネットとリアルのバランスは大事だ。遠隔地で常に会話しているようで、メール主体のコミュニケーション。想いは通じるかもしれないが、お互いのリテラシーやらでロスは発生する。一体感を作ることは難しい。家族の中でそれがあっては大変だと、僕は週末はとにかく家族と過ごす。足りないのも自覚している。

高松だけでぶらぶらしていたときは、あれやこれやの活動に積極的に参加していた。特に2001年頃からはその数を拡大させて、平日の夜、土曜などは出歩くことが原則みたいに。そこまで活発化できたのはネットの恩恵が大きい。どの活動に関しても、MLやグループウェア的なツールの利用を促して、とにかくコミュニケーションの量をあげてもらう。この10年でのネットで一番進化したのはコミュニケーションツールとしての役割。まるでそれを検証するかのように、地域のコミュニティの参加者の方に、積極的に利用してもらう。実際、ネットリテラシーが低い方には情報格差も発生していただろう。月に一度の例会が、毎晩議論される場に変わった。しかし、活発化する地方におけるネットの中の世界は、リアルな活動、打ち合わせ、懇親会があってこそ参加でき、活性化する。ネットだけ、リアルだけというのはなかなか難しいわけだ。

最近、平日東京、休日家族という状況になって、ネット上における地域の各活動への関与度も極端に下がってしまった。リアルな場に参加できないことが、ネット上での議論にも参加しにくい状況を産み出している。本当にいろんな方に迷惑をかけていることを自覚している。

シンプルにしていくこれからの生活。その中で、リアルへの参加をどこまでいいバランスのなかで参加しやすく自分の中で整理するか。生活習慣の中に組み込むことか。


昨夜の就寝時間 01:00 今朝の起床時間 05:30
今日の昼ごはん 

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