07/032008

落書きの話題が多いですが

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イタリアの大聖堂の落書き事件は最初は岐阜の短大の女子大生の話だったのが、現地にマスコミが入って以降、どんどん発見されまくり、世界中の世界遺産にマスコミの取材先が広がっちゃって、日本人の「かき捨て」た「旅の恥」が暴露されまくっている。

最初のニュースが出た早々にDanさんが書いていたけど、イタリアでは落書きはけっこう多くて、大聖堂側が怒ってないのは、「神の許し」以外に、もうひとつ「すでに落書きだらけ」という事実なんだろう。

大聖堂の三大光景

やはり、その後、「なんで日本人は落書き程度であんなに怒ってんの?」という論調でイタリアの新聞が批判しはじめた。日本では今度はそれを報道して、「現地では怒られないぐらいの軽微なことなのかな・・・」という雰囲気ができ始めている。

で、池田信夫先生はちゃんと書いてくれた。

落書きと割れ窓

まさにそのとおりだと思う。(後半のネットの匿名性への批判は、僕としてはこれという基準がまだできていない。どっちかというとネット内も実名ネットワークを構築していくスタイルなので池田先生の論に近いのだが、こっちは「割れ窓」かどうかともかく、匿名のメリットもまだ捨てきれない気もして・・・)

マリンライナーで岡山駅に向かうとき、妹尾駅を過ぎたあたりからの落書きの多さには目をおおう。香川も落書きが多い地域はあるのだろうけど、目に入るという意味では岡山はちょっと「割れ窓」化が進行しすぎじゃないだろうか。夕方のニュースなどでも再三特集で取り上げられているし、逮捕者も出ているのに、いっこうにおさまりそうにない。

ちょっと調べてみようと、「岡山 落書き」で検索するも、どっちかというとボランティアの人たちが「落書きを消したよ!」という話題が多い。それも大事なんだけど、「落書きする」という行為自体をどうやって減らすのかという話題が欲しいのだが。ゴミ拾いの活動も「清掃活動」自体は頭の下がる大事なことなんだけど、そのゴミを「捨てるやつ、捨てたやつ」が登場人物で抜けているのが気になるのと同じ感じ。

池田先生が言うように、「厳罰」かなぁ。そして、やっぱり教育なのかなぁ。

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