Gofield.com編集長の弁
三回目の小豆島タートルマラソン(ハーフ)
2010年09月30日 11時46分
「次はどのマラソンに出るのですか?」
とお客様先で。いやいや、そんなに僕ってマラソンやジョグの話題しかしてませんかね(笑)
丹後のウルトラマラソンが終わって、なんとなく腑抜け状態でして、同時に仕事上の課題や、お手伝いしているプロジェクトの重圧などでちょっとストレスもたまり気味。
ここは、きちんと目標を定めて、毎日こつこつとトレーニングを積まないと、精神的にも好循環にならんなぁと考えました。
で、出場する大会は既に7月の段階で決まっておりまして、次回は11月末の小豆島のタートルマラソンです。種目はハーフ。
これには、過去二年連続で出場していて、一昨年は2時間11分ほどだったので、スピードのない僕にしてはよくがんばってる大会です。が、昨年はなんにもトレーニングしてない上に体重管理も最悪で、膝痛が出てしまって、悲惨な結果になりました。
今年の目標は、自己ベスト。一昨年の「2時間11分18秒」を一秒でも早く帰ってくるってことで臨みます。まずは、毎朝のきちんとした習慣が大事だな。

昨年の敗因は、接待のあったかいソーメン(にゅうめん)を走る前に二杯も食べたことかもしれません・・・。走った後も三杯ぐらい食べまして、結果的にかなり肥えて小豆島を後にしました(笑)
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京都
2010年09月29日 11時50分
昨日は久しぶりに京都に行ってきました。
僕の実姉も実兄も京都の大学に通っていたこともあって、中高生の時代から京都は身近な存在でしたが、自分自身も京都の大学に通うこととなり、ある意味第二の故郷みたいな感じです。かみさんとも京都で出会いましたしね。卒業後もかみさんとは遠距離で付き合っていたので、東京、名古屋から京都までよく通いました。
そんなわけで、バイクでツーリングしたり(大学生には膨大なウロウロする時間があったのです)、デートで寺社めぐりしたりと京都はほんとかなり詳しいです。
その後、かみさんの卒業とともにあまり機会はなくなっていたのですが、転職した外資系メーカー時代は京都も重要テリトリーとなりまして、京都大学には週に2,3度営業に出向いてました。さすがに予算規模が大きいので、学内をぐるぐる回ってるだけでいろいろ案件に遭遇するんですよね。なので、京大の学食とか周辺の喫茶店は常連化しておりました。
高松で起業した後は縁が減ってたのですが、おかげさまで大口含めた京都のお客様もでき、定期的に訪問させていただいております。加えて、同志社大学様でも講義を担当させていただいたりと、人生において貴重な機会をいただいています。また、母校の立命では恩師の先生も元気に今年度まで講義を持っておられて、同窓会も含めて何度かお顔を拝見しにうかがってます。
そんな京都に今後も通いたいので、案件探さなきゃね。
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さらに身近に視線を移すこと
2010年09月27日 13時16分
NPO法人の活動や、友人、先輩たちを通じて、ここ数年は島やまちなか、それに香川の海、森などの未来に想いを巡らせて、夢を語ることを続けてきました。その過程でも多くの出会いがあって、とても自分だけではできない得がたい経験の数々ができたとほんと思います。
ところが、最近、もっと身近。具体的には自分の住んでる小学校区のことも真剣に考えた方がいいんじゃないかなと思うようになってきています。
僕は今住んでいる小学校区で生まれ、育ち、そしてUターンしてきました。結婚した後も実家の近くのアパートで暮らし、子供も二人できました。上の息子は小学二年生で、懐かしい僕の頃と変わらない制服姿で小学校に通っています。また、いずれ家を建てる目的で同じ校区内に土地も先日購入しました。
土地に縛られるっていうのは、「永遠の放浪家」を自称している僕にはナンセンスな話ですが、放浪家も巣は欲しいのですかね(笑)

毎朝ジョギングをしたり、休みの日には子供たちと散歩をするなど、まるで小学校時代に戻ったぐらいに地元の風景、季節の移ろいを目にする毎日になっています。一昨日は実家でひまわりをたくさん摘んで、おじいちゃん(子供たちにとってはひいじいちゃん)のお墓参りにいきました。こういう何気ない時間の過ごし方がたまらなく楽しいのです。
すると、いろいろ気がつきます。家族のこと、実家を含めた親戚のことまでは想いが強いけど、子供たちを育てているこの地元のことに関心が薄すぎたのではないだろうか?
地元の愛育会での活動のお手伝いや、町民運動会への参加などはしてきましたが、なんかもっと自分たちでやらなければ、住みやすい素敵な故郷にならないような気がしています。
日本の未来に楽観的な人は少数派でしょう。団塊の世代の方々レベルの老後を迎えられると信じている若者はもっと少ないでしょう。そういう時代に子育てをする僕らは、より強固に、アイデアを凝らした血縁、地縁、そしてネットを活用した多段階コミュニティを形成していかねばならないように思えます。僕の場合はここに会社のメンバーの層も加えて、みんなで来るべき厳しい時代に明るく過ごせる体制を整えていきたいと思います。「地縁、血縁、ましてや社縁・・・。なんて前時代的なことを・・・」と思われるかもしれませんが、どうもすごく大事な時代が到来しそうな気がするんですよね・・・。なんとなく。
ノマドへの憧れは決して消せませんが、僕はもっと根を張るべき場所に根を張っていかなければと感じるのです。

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72kgから50kg台へダイエット進行中
2010年09月24日 09時28分
ここでも度々書いてきたのでなんですが、ダイエットのこと。
3年前の9月に人生ではじめて70kgを突破してしまって、これはいけない!ってことで当時流行していたレコーディングダイエットを実践しました。
・うどんに制限かけない
・アルコールにも制限かけない
という二大原則のもとで、2ヶ月ちょっとで、71.4kg → 64.9kg に成功。この間、運動はゼロで、ジョギングを始めたのはダイエットに成功してからです。
・とんかつ定食 → 刺身定食
・うどん+かき揚げ → うどん+こんにゃくおでん
という程度の意識感で充分ダイエット進むんですよね。不思議でした。
その後、運動を開始したこともあって、食べる量はもとに戻しましたが、67kg前後をウロウロ状態で、特に心配もなく。
ところが、今年になって食べる量が半端なく多くなり、同時にジョギングも面倒になってきて体重増加。勢いでサロマ湖50kmへの出場も宣言してしまっていたので、危機感を感じて、4月の中旬にダイエット宣言。失敗したら社員全員にiPadってことでスタートしました。この時は期限が一ヶ月、間にゴールデンウィークという状態での7kg減量だったので、かなりきつかったんですが、基本は炭水化物の過剰摂取を控えることとして、
・うどんは一玉まで。
・夕食時は炭水化物摂らない。
という原則で、なんとか 72kg → 64.8kg に成功しました。サロマ湖の完走も、このダイエットがあってのことだったと実感します。
で、今度は丹後60kmに出ることになったので、引き続きダイエット継続。今度は特に無理をせず、小さくなった胃の思うままにある程度食べて、ほぼ毎日30分以上のスロージョグをすることに徹しました。スロージョグをすると、赤身に相当する「遅筋」という筋肉がしだいに鍛えられるそうで、長い時間動く体力がつく上に、これは日常的な活動に使われる筋肉なので、疲れにくくなるし、頭の回転もよくなるんだそうですよ。筋肉痛にもなりません。
結果、代謝も多くなったようで、けっこう食べても体重が増えなくなってきました。とはいえ、胃が小さくなってるので、たまにうどんを3玉とか食べると苦しいですね。アルコール制限は引き続きしていませんので、肝臓関係はちょっと心配ですが・・・。
こんな調子で夏バテもせず、なんとか夏を乗り切りました。季節の変わり目でうまく身体が順応できるかどうかが今後の課題です。
今朝の体重は、60.8kgで、最終的な目標の50kg台がとうとう見えてきた感じです!
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死ぬまでには書きたいネタ
2010年09月22日 10時12分

僕は1992年の春という、バブルが一番大きく膨らんだ時に社会に出ました。卒業して入ったのは株式会社日立製作所。今の学生の方々ほど真剣ではなくって、単に「親が知ってる会社、テレビでCMが流れてるような会社ならどこでもいい」ぐらいの気持ちでした。入社前の書類で本気で「日立制作所」と書いていたのをおぼえています。自分が入る会社の漢字も勘違いしていたわけですね。
中島聡さんが、一昨日のブログで気になる記事を書いてられます。
僕もその一角の「H」に入社したわけでした。社内では「N(NEC)が仕掛けてきたんだよねー」「F(富士通)と早く話つけれないのか?」というような言葉が飛び交っていました。僕が入った事業部は、「公共情報事業部」、つまりコンピュータメーカー(ITゼネコン)の中で公共投資で生きていた事業部でした。
配属された部にSEはいましたが、半分は系列子会社の方々、もう半分はそこからの孫請け会社の方々で、親会社たる僕たちの所属のまだ若いSEが偉そうに孫請け会社のベテランSEさんを大声で怒鳴ってる場面は日常的でした。
既に大型コンピュータ/ハードを売って、その利益でソフトやサービスを無償サービスという時代は表面上去ってましたが、営業とSEの主任技師の采配でどうにでも配分ができたりしまして、社内ではとにかく、「来月20人月分確保してよね、森田!」と頭数分の工数予算を捕ってくることが営業みたいでした。
早ければ20代で主任待遇の「技師」になって、主に工数管理だけするような大卒、院卒のエンジニア。工場のお偉いさんや事業部のお偉いさんが来たときの接待時だけ活躍するシステム部長。
当時はそんなものだとしか思っていませんでしたが・・・。
僕はまだ多少なりともIT業界に身を置いてまして、この先の面白いネタはいくつもあるのですが、まだそれを書く勇気がありません。ITゼネコン各社はこうなっていけばいいのではないか?という提言もいろいろありますが、裏の事情を説明してからでないとうまく表現できないのです。
いつかは書いて、小説にでもと思ってるのですが。
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激走!丹後ウルトラマラソン60km
2010年09月21日 09時42分

おかげさまで、一昨日の日曜日、丹後にて60kmを完走してきました。
と書くと短いですし、順を追うと超大作になりそうで(笑)。
今回は、サロマ湖の50kmをなんとか完走して、次の目標がない状態が続いていたのをなんとか埋める目的もあって参加しました。前回の日記にも書いてますように、「出場する」と決めたときから始まっているわけで、体重のコントロール、筋肉強化、長距離を走れるだけの基礎体力作りと、この夏は自分でもびっくりするぐらい頑張ってきました。
そして当日。僕は、前半30kmを8分/kmでペース維持して、後半は9分/kmで行こうと考えていました。本当は8分/kmを維持する体力はまだないかも、特に峠越えだと厳しいかもと思ったのですが、第一関門の34.2kmが、5時間の制限でして、9分ペースだと間に合わないんですね。ハーフぐらいならこの僕でも6~7分/kmで走れるのですが、今回は60km。後半を考えると前半は抑え気味に行きたいところなのですが・・・。
スタートしても周囲に影響されることなく、とにかくゆっくりゆっくりを心がけます。それでも2.5kmのラップでは6分ちょっとで走ってる・・・。抜かれてもかまわないんだと言い聞かせて、とにかく7分、8分にペースを落としました。10km地点では平均で7分ぐらいになっていたので、ここまでは作戦通り。
やがて峠に差し掛かり、ここはみんな歩いてます。使う筋肉が違うので、逆にここでは積極的に早歩き、駆け下り。20km地点に向け、そこそこのペースで走ります。細かいこと忘れましたが、充分8分/kmを維持したまま25kmぐらいまでやってきていて、自分でもサロマの時に比べて成長したな、ばっちりだな。と感じていました。

ところが、そこからどうにも脚の進みが悪くなります。故障を抱えている右膝もこの夏で初めて痛くなってきました。鎮痛剤を飲んで早めに対処しますが、すぐに効果は出ず、平地でも歩くことが増えて行きます。既に周囲は僕と同じぐらいのペースの方ばかりで、歩きっぱなしの人も出てきて、僕も弱い気持ちが出てきて気がつくと長い間歩いてたり・・・。とにかく、息切れしてない限りは走らないとやばいと奮い立たせて前へ進みます。
計算してると、第一関門がけっこうやばい状態に。30kmに向けた丘の上へ続く道を見上げたときは唸ってしまいました。そこからは気を抜かず集中して脚を運びます。第一関門へ残り1kmほどのところで、あと8分切ってると沿道の声援。振り返ると、もうあきらめかけの選手ばかり。脚はほんと動かないんですが、一度ここでフィニッシュ並みのスパートかけないと脱落してしまう。それでいいのかと自分に問いかけて、スパートかけました。全力で第一関門に入ると残り40秒ほど。すぐに関門は撤収され、後から来た選手は無情にもバスに誘導されています。あぶねぇ。
なんとか第一関門に滑り込んだわけですが、かなり体力消耗。ゆっくり休もうと思っていると、「10分以内に出発ください!」の声。そうなのです。先は長いのでここでのんびりしてたら60kmは無理なのです。それぐらい時間はかかってる。そう思うと、「無理なんじゃねぇの?」とネガティブなイメージが膨らんできます。単純に、あと25km以上進むなんてありえねぇ・・・と感じていました。
雲が出てきて気温は下がり気味の中、周囲の選手は皆、疲労感にあふれた表情。スタッフの方たちも片づけを急いでいます。「これが最後尾の雰囲気かぁ」と感じてしまいました。これがいけない。
けっこう心折れかけて再スタートしたんですが、救ってくれたのは沿道の声援でした。計算してみれば、後は、4時間20分使って25.8km進めばいいわけで、単純計算で10分/kmです。動き続けられる体力が僕に残ってれば充分間に合うわけで、なんとかフィニッシュしようと前に進みました。サロマの時の9分/kmを刻むことが既に苦しくなっていました。前半の峠でダメージを脚に受けていたのでしょう。しかし、10分/kmのペースではエイドで食事や給水ができません。スピード遅いなりにいろいろ葛藤感じながら、意識を集中して少しでも下り坂なら走って時間稼ぎ、他でもできる限り走りました。
熱中症だけにはなってはいけないので、塩を積極的に取り、素早く給水します。100kmのランナーと合流してからはペース維持がややこしくなりましたが、そこはもう自分との闘いの領域なので、とにかく前へ前へ。ラスト10kmではエイドに入っていては間に合わないなと考えて、いくつか飛ばしました。ラスト5kmからは1kmごとに表示が出て、「次の1kmは10分で行こう、そうすればその次の1kmは11分でもかまわない。それなら歩いても大丈夫」とか、かなり細かい計算しつつ進みました。ラスト1km、暗くなった街中に入ってきた時の手持ち時間は、12分だったと思います。もう歩いても大丈夫なのですが、沿道の方の声援に励まされ、走ったり歩いたりの、これまで刻んできた10分/kmのペースで進みます。
最終の交差点を越えたところで、フィニッシュの会場の音声が聞こえてきました。「あと3分です!!」
ラスト100mのところにガネさんがいて、「残りダッシュ!」の掛け声。第一関門に続いて、本日2回目のスパートです。ただ、先に感動的なフィニッシュをしつつある二人組みがいたので、少し待って、もう一度張られたフィニッシュラインを気持ちよく突破してフィニッシュしました。9時間27分36秒の長旅でした。
完走メダルを首にかけてもらい、ボランティアの女子高生に握手求められた時は感動して泣いてしまいました。かみさんに電話して、娘と息子の声を聞いて、走り終わったことを実感しました。
同行してくれた皆さん、TwitterやSNSで応援してくれた皆さん、地元の沿道で声援いただいた方、スタッフの方、一緒に走った選手の皆さん、そして家族のみんな、本当にありがとうございました!
というところで、また目標喪失感を味わってる自分がいるんですよね(笑)
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丹後ウルトラマラソンまで、あと2日
2010年09月17日 11時39分
いよいよ明後日に、60kmのウルトラマラソン。サロマ湖での50kmに続いて、今年2度目のウルトラマラソンとなります。来年にはサロマ湖で100kmのエントリーを予定している僕にとってはかなり試金石でもあり、楽しみ。
サロマ湖の50kmは、7kg減量した以外はほとんど準備せずに当日。膝の故障さえ悪化しなければ、9分/kmのペースでいけば大丈夫!と言い聞かせてスタート。結果は9分/kmのペースを維持することさえ苦しくって、最後まで気の抜けない展開になってしまいました。何が足りなかったかと言えば、スタミナと精神的な強さ。それでも制限時間まであと7分の7時間53分でフィニッシュできたこと、完走できたことは大いなる自信となり、達成感で満たされました。
ほどなく、打ち上げの席か何かで酔った勢いで「丹後60km出ますよ!」と言ったけど、正直、最初から行こうと思ってました。もう必然だったんでしょうね。
それからしたことは、まず、3kgの減量。72kgから65kgまでは減っていたので、62kgにすることにしました。結果的に今朝の段階で61.2kg。こちらの準備はできました。
そして、60kmを走りきるだけのスタミナと走力の獲得。こちらは検証できてないわけですが、7月の20日前後から、毎朝5時に起床して、30分から60分のスロージョグをこなしてきました。走らなかった日は、60日の中で、6日だけ。9割は走ってたわけですね。こちらもできる範囲の準備はできたと思っています。
今日現在、体調もよく、後は当日の展開。前日に下見をしないとなんとも言えませんが、前半は8分/kmのペースでいき、様子見ながら30kmからは9分/kmに落としてペース維持と考えています。とは言え、心が折れて、制限時間たっぷり使ってしまって、同行しているみんなを待たせてしまう展開になることでしょう(笑)。先に謝っておきますね。
と書きつつ、最初の関門で引っかからないようにせねば(汗)
それにしても9時間半の旅かぁ。長いようで、たぶん短いんだよなぁ。

(毎朝見ていた、日の出、朝焼けもだんだん5時台では見えなくなってきてます)

